御家人GO!知れば楽しい埼玉県史 内池武者右衛門と時の鐘【川越市】 Posted on 2020年10月10日 by eiji 大阪城を作ったのはだーれだ? 豊臣秀吉! ブッブー! 大工さんwww このくっだらないなぞなぞを 200年以上続いた鎖国を終わらせたのはだーれだ? に置き換えた場合 豊臣秀吉のところは 老中首座 阿部正弘 大工さんのところに当てはまるのは 川越藩!! という訳で今回は、果敢にも少人数で黒船に潜入、お引き取りいただけるよう尽力した川越藩のある男について見ていきます! 無名に近い男のエピソードではありますが、県民として知らないままではもったいないなあと思いますので、埼玉県民も、そうでない方もどうぞ! 最後までお付き合い下さいませっ ビッドル艦隊来日についてはコチラをご覧いただくとして ( 埼玉県に黒船来航・前編 )この日、城ケ島の沖合に黒船が出現!を受信した川越藩士12名は、陣屋のあった浦之郷より小舟で出撃、ビッドル艦隊二隻のうちのヴィンセンス号に接近しました。 この川越藩士の中にいた … Continue reading内池武者右衛門と時の鐘【川越市】
御家人GO!知れば楽しい埼玉県史 大蔵合戦、前夜【源義賢】 Posted on 2020年7月5日 by eiji 嵐山町で叔父である源義賢を殺害した、強い(悪)源氏の(源)長男(太)こと源義平の話は先日させていただきました。 悪源太と6人の埼玉県民【源義平】 今回は、その悪源太に討たれた源義賢という男について見ていきたいと思います。 日記の話するんだんべ? そうですね。日記に触れない訳にはいきませんね。あまり気乗りはしませんが最後に少しだけ触れておこうと考えています。 イラスト描きたいだけだんべ? ななな何を言うんですかwww 誰が男のハダカなんて描きたいもんですかwww ただ、赤裸々に思いの丈を記したこの日記には、平家物語や太平記とはまるで違うリアルがビンビンに詰まっているんですね。義賢は埼玉史を語る上でも外せない男ですので、同様にこの日記も外せはしないだろうと思います。 それでは! 下ネタ回になってしまう可能性がありますが、どうぞ最後までお付き合い下さいませっ 源義賢とは 鎌倉幕府を開いた頼朝のパパである義朝の弟であり、あの 木曽義仲のパパです 義賢という名前から「賢い男」のような印象を持たれるかもしれませんが、ボクの印象はまったく逆で、義賢は物事をあまり深く考えずにやんちゃをしちゃうタイプ。良くも悪くも義仲のパパだなあという気がしています。 詰めが甘い、思慮が浅いと思わざるを得ないエピソードが有るので二つ紹介しておきますね。 義賢は近衛天皇を警護するという重要なポジションのリーダーに抜擢されましたが、捉えた殺人犯に関与していたことが発覚(黒幕?)クビになりました。 また、先の日記を記した藤原頼長に仕え能登国の預所(荘園の管理、年貢徴収などを行う職)に就任しますが、こちらも納めるべき年貢を懐に入れてしまったのでしょう、職務怠慢ということになりクビになってしまいました。 源氏の嫡流を継ぐという道も閉ざされ、それならばという気持ちで関東へ、そして埼玉へと落ちてきたのかもしれません。… Continue reading大蔵合戦、前夜【源義賢】
御家人GO!知れば楽しい埼玉県史 おらが町にも真田丸【川島町】 Posted on 2020年6月7日 by eiji ボクがまだ(川島町を)かけ出しだった頃の話です。 たまたま通りかかった交差点の名前に 難読地名クイズにも出題させていただいた、えっと、答え言っちゃいますね しもむじな 東西対抗 埼玉難読地名クイズ! 狢とはタヌキやアナグマのことを言うのだそうです。 まあタヌキくらいなら今もたくさん居るでしょうし、タヌキを村の名前にしてしまうセンスはさて置き、素直に「タヌキが居たんだなあ」と受け取りました。 そのとなりに 曲師(まげし) 何かを曲げる職業の人たちが住んでいたのでしょうね。ただただフツーにそう感じました。 そして曲師のとなりに 上大屋敷 大きなお屋敷があったのでしょう。そう受け取る以外にどう受け取れというのでしょうか。 さらに 釘無橋 昔の景色を連想させる地名が並びますね。なるほどなるほど。お屋敷に架かる橋には釘が使われていなかったということですね。 いつの時代なのかまでは想像出来ませんが、この場所に大きなお屋敷があり、曲師と呼ばれる技能集団の存在があり、タヌキがいた。 … Continue readingおらが町にも真田丸【川島町】
御家人GO!知れば楽しい埼玉県史 熊谷はやはりクマ【熊谷市】 Posted on 2020年5月10日 by eiji 早速ですが今回は、熊谷市の、いや、埼玉県を代表する武将と言ってもいいですね 熊谷直実(くまがいなおざね) のルーツについて見ていきたいと思います! 保元・平治の乱、続く源平合戦において数々の功績を挙げた坂東武者の鑑、熊谷直実のルーツはどこにあるのか またまた長くなりそうなので結論から言っちゃいますね 熊谷氏のルーツは~ 熊(bear)にあると思います いや、まじめにまじめにwww 熊谷の名の由来はいくつかあり本当のところは分かりません。子孫を名乗る方も、北は青森、南は九州鹿児島にまでいらっしゃって、祖先についての説も一つや二つじゃないはずです。 分からないものをボクがあれこれ考えても仕方がありませんので 熊谷だけにクマwww いくつかのエピソードを紹介し、その根拠をこじつけていきますので、どうぞ最後までお付き合い下さいませ! 根拠1・新編武蔵風土記稿の記述 新編武蔵風土記稿(しんぺんむさしふどきこう)とは、江戸時代の終わりの頃に作られた幕府による公式の歴史書です。 この書物の「熊谷郷」のところにこんな記述があります。 地名ノ起ハ古昔當所(このあたり)ノ谷二大熊住テ、人民ヲ悩マセシニヨリ、熊谷次郎直実ガ父、次郎大夫平直定退治セリ、是ヨリ地名ヲ熊谷ト云(正シキコトハ知ラズ) このあたりに住んでいた熊を、直実のパパである直定(なおさだ)が退治。それ以来地名を熊谷と言う(本当のことは分からん)ということですね。 根拠2・千形神社はもともと血形神社 … Continue reading熊谷はやはりクマ【熊谷市】