スケベな万葉歌碑に自分のルーツを見る【日高市/飯能市】
新元号の出典元になったことで注目の集まる日本最古の歌本、万葉集。 これは良い機会、今こそしっかり読んおくべき一冊だー!
そう思い立ってからまもなく半年。
万葉集を手に取るどころか、万葉集の「ま」の字を思い浮かべることもなく、何ら変わらぬ毎日をただただ浪費してしまいました。
それでも!
入間路エリアには万葉集に歌われた場所がちょこちょことありますからね。今回はそちらを紹介し、少しだけでも読んだ気になっておくべかなーと思います。
ひとつ目は、駿河大近くの阿須運動公園にあるコチラ!

漢文だと何て書いてあるのかニュアンスすらも読み取れませんね。現代語訳的なものも刻んでありますが
阿須の上に 駒を繋ぎて危ほかと 人妻児ろを 息にわがする

いまいち場面というか映像が浮かんできません。ただ、人妻??? 息??? ちょっとスケベな感情を詠んでいるのは分かりますよね。実に興味深いです、案内板を見てみましょう!

読めんがな! 薄くて!
仕方がありませんので個人的解釈で解説していきたいと思います。
阿須というのは「崩れた崖」のことです。その崩れた崖に馬をつないだらとても危ない。それくらいに人妻を好きになるのは危険なこと
つまりこんな感じ
駿河台の崖の上に馬を繋いだらとても危ない。それと同じくらい人妻を好きになるのは危ないこと。それは分かっちゃいるけど彼女を見ているとハアハアしちゃう

どうかと思いますねwww
歌は良いですよ、男の子ですからね。けれど、これを採用した橘諸兄なのか大伴家持なのかは分かりませんが、この歌の一体どこに共感したのか、想像するとめっちゃ楽しい気分になります。万葉集が残っていてこの国はホントに良かったなあって思います。

阿須運動公園のあたりは、かつて「高麗郡上総郷」と呼ばれていました。3行で説明しますね。
668年、朝鮮半島北部にあった高句麗が、唐&新羅に攻められ滅亡、多くの高句麗人が日本に亡命する。716年、中央政府は主に関東在住の高句麗人を入間郡に移住させ高麗郡を設置する
なんと(710年)キレイな平城京ですから、奈良時代になってすぐのことですね。関東のアチコチに住んでいた高句麗人が今の飯能・日高に集められ無理やり埼玉県民にさせられてしまいました。阿須運動公園一帯は「上総郷」というくらいなので千葉県方面からお越しの方が多かったのでしょう。
開拓民となった彼らが、この場所でどれほどの苦労をしたのか、今となっては想像することしか出来ませんが、万葉集の成立は759年頃からと考えられていますので
その頃の高麗郷にはハアハア出来るだけの余裕がすでにあった
開拓は順調に進んだ、そう考えて良いのかもしれませんね。だとしたらこれはもう思う存分ハアハアしていただきたいなと思います。辛いけど楽しいですものね、片思いって。

もう一ついきます! 次は曼殊沙華で有名な巾着田(きんちゃくだ)の万葉歌碑です。
高麗錦 紐解き放けて 寝るが上に 何ど為るとかも あやに愛しき
案内板より
高麗錦の紐を解いて共寝もしたのにまだ恋しさが増す この上一体何をすればいいのか 不思議なくらい愛しいことよ

高麗錦というのは渡来人が高度な技術で編んだ高級な「帯」のことです。
つまり勝負パンツならぬ、勝負帯を解いて、ストレートに表現すると「すっぽんぽん」になって寝るが上に…
ええ! 完全に致しておりますね!
それにしてもおバカな歌だと思います。だってこんな感じですよ
念願叶って初エッチをしたというのに、何がなんだか分からないくらいもっともっとしたい。しゅきしゅき大しゅきー!
知らないよ! そんなんいちいち歌にすんなっ
つっこみたくもなりますけど、正直ちょっと共感出来るところもありますよね、誰しも。

1300年前の日高にラブラブな二人がいて楽しくエッチした
まずは、この描写が文字で残っていることに驚きたいと思います。ホントに万葉集があって良かったです。
そして、それ以上に興味深いのが、先ほどの「共感」だと思うんです。
太古の日本人は「村祭り」のフィナーレに乱交パーティ的エッチをしムラを繁栄、生々しく言うと「繁殖」させていました。

石ノ森章太郎先生の「弥生時代 稲作と戦争」132、133ページのあの場面ですね。小さなお子様も見てるかもなので紹介は表紙だけにしておきますが、人にも「繁殖期」があったことをワンカットで表現してしまうなんて、やはり石ノ森先生は恐るべき巨人だなと思います。
けれど、この今に例えるなら単なるバカツイートから読み取れるものは繁殖目的では無いですよね。
何を意味するか。
今に続く「恋愛」という概念は、この時代までに半島から輸入されたものだってことですよ。たぶんですけど。
埼玉の「恋愛感情」は高麗郷から始まった、なんて言うと飛躍しすぎな気もしますが、高麗郷に集められた渡来人は、この地で自由に恋をし、様々なルーツを持つ人たちと交じり合いながら繁栄を続け、今の自分たちのルーツになっていきました。

唐突ですが「もののけ姫」の冒頭、アシタカがたたり神の呪いを受けてムラを出ていく場面。「なんとかならんのか」と憤るおっさんが登場しましたね。
奥が渡来人、手前が倭人として描かれているのだと思いますが、自分は完全に奥のおっさん似です。家族も、職場の連中も、長女の部活の先輩に少し倭人系の入ったイケメンが居りますが、見渡すと日本人はだいたい渡来人系です。
あなたは倭人系、ボクは渡来人系、そんなこを言ってんじゃないですよ? ただ万葉の時代のいろいろな出来事に、自分ルーツがあるのだなとは今回感じました。

まとめますね。
7世紀から8世紀にかけての埼玉。好きとか嫌いとか、何かとめんどくせえ時代が始まりますな。
