蒲どのの愛した桜【北本市/吉見町】
つまらぬ小石に躓かぬよう、日々、下を向いて暮らすことを心がけているのですが、春のいち時期だけはどうしても顔が上を向いてしまいますね
どうしてボクたち日本人は、こんなにも桜が好きなのでしょうか
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特に今年はタイミングよく上尾方面に用事が出来たことで、初めて咲いている蒲ザクラを愛でることが出来ました
一度で良いので咲いている姿を拝んでおきたいと思ってたんですよね。蒲どのと呼ばれた方が、どんな気持ちでこの桜を見上げたのか…
え? 人なの???
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ええ人ですね。カバだと思っている方も多そうですけどカバな訳ないですよね。荒川にカバがいたら大事件ですよねwww
蒲どの、または蒲冠者(かばのかじゃ)とは、今の静岡県浜松市で生まれたとある高貴な方のことを言います。土地勘がないのでよく分かりませんが、蒲小学校というのを見つけたので多分この辺だろうと思います
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浜松に生まれたとある高貴なお方は、いろいろあって(平治の乱)蒲地区に居にくくなったのでしょう。はるばる埼玉県吉見町までやってきて、この地で成人しました
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そして、運命の治承4年
源頼朝が挙兵を決意すると、吉見町にお住いのとある高貴なお方も立ち上がります
その、とある高貴なお方とは
源頼朝の弟
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日本史にその名を残す名将であることに違いはありませんが、よっつね(義経)が目立ちすぎたせいで若干影の薄い存在なのかもしれませんね
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そんな高貴なお方である範頼がナゼ吉見町に引っ越してきたのか、ちょっと不思議ですよね。こんなことを言ったら怒られちゃいますが、もうちょっと都会でも良かったんじゃないの、と
いえいえいえ。この頃の吉見町一帯は結構な都会だった気がするんですね。それは神社や郷の数から想像出来たりするのですが、その話は長くなるのでまたの機会にして
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源氏と吉見町のある「比企郡」はとてもとても深い縁で繋がっていました
どれくらい深いかというと
毎年7月に伊豆の修善寺で行われる「頼家祭り」の頼家の奥様役は
今も
東松山市役所の
新入職員さん(もちろん女性)が
演じることが決められているくらいに、源氏と比企は縁が深い!
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コレは凄いことだと思うんですよ? 源氏と比企の縁が人知れず800年も続いてきたなんて、ちょっとビビりますよね?
なので何度も言いますけど、埼玉には何もないとか言わんで下さいね。埼玉には源氏とのめっちゃ深い縁があるんですからね
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範頼はいろいろあり(曽我兄弟の仇討等)修善寺に幽閉され、そこで死んだということになっています
ただ範頼の死についてはナゾも多く、お墓も、修善寺の他に、鳥取県や横浜市、そして埼玉県にもあったりします
その場所が北本市の蒲ザクラなんですね
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範頼は修善寺で死なずに吉見に戻ってきたのだと思います(妄想です)
そして春になり桜が咲くと、少数の郎党たちと荒川を渡り、ささやかなお花見をした
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もしかしたらお酒も少し飲んで「自分が死んだらこの桜の木の下に埋めてくれ」的なことを、おちゃらけて言ってしまったのかもしれません(妄想ばっかり)
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蒲ザクラの根元にお墓があります
卒塔婆(そとうば)をズームアップして見てみましょう。
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源範頼の文字が見えますね
真相はナゾですが、きっと範頼はこの桜を見上げたのだと思います
今よりずっと小さかったかもしれませんし、もしかしたら今の蒲ザクラは2代目で、範頼が見上げた桜は別のものだったかもしれませんが、いずれにせよ範頼はココで桜を楽しんだのだと思います
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どんな気持ちで見上げたんでしょうね
内心ウッキウキでも表向きは「死んだ」ってことになってますからウェイウェーイwwwとかは出来なかったでしょうねwww
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