課長 渋沢喜作【飯能戦争①】
いよいよ舞台は「飯能市」へと至る訳ですが、なぜ渋沢喜作は彰義隊を率いることになったのか、なぜ彰義隊は分裂、決戦の地を飯能に求めたのか、いまいち、というかほとんどピンときませんよね?
なので「飯能戦争」の一回目と二回目は、飯能に至るまでの経緯を分かりやすく「現代ドラマ風」にして見ていきたいと思います!!
時系列がおかしいとか、薩長の扱いがヒドイとか、いろいろ出てくるかもしれませんが、あくまで佐幕、あくまで個人ブログですので、プリプリむくれることなく、どうぞ! 最後までお付き合いくださいませっ

物語の主人公である渋沢喜作(しぶさわきさく)は、深谷市の農家の家の長男としてこの世に生を受けました。
実家を継ぐことはなく、日本全国にフランチャイズを持つ「株式会社 徳川カレー」に中途採用されると、その働きっぷりが社長である「徳川慶喜」の目に留まり、20代にして管理職に抜擢。そのまま慶喜の側近というポジションに収まります。
そしてつい先週、長く滞在していた京都(鳥羽伏見)から本社のある江戸に戻ってきたばかりのところでした。

株式会社徳川カレーは、日本最大のカレーチェーンとして世に君臨していましたが、創業より約260年。屋台骨は腐りきり、中国・九州地方のフランチャイズからは「独立」を訴える声も上がっていました。喜作が京都へ赴いていたのもフランチャイズとのトラブルに対応する為でした。
とは言っても、トラブルを解決した訳ではなく、むしろ取り返しのつかない状態にしてこっそり帰ってきちゃったんですけどね(てへぺろ)
あ、てへぺろなんておちゃらけたら勝部長 にまた怒られちゃいますね。
京都から戻った日の品川は控えめに言ってとんでもない修羅場でした。
どうなさるおつもりだ!!
勝部長が慶喜社長に対し思い切り吠えちゃったんですよね。
社長に対してその口の利き方はと周りが制しても、勝部長は涙を流し嘆息するばかり。
喜作に責任がある訳ではありませんが、社長が責められる場面に喜作はもちろん、その場にいた皆の顔がまっ青になりました。

本社は今日からボクたちのものーーーwww キミたち全員クビーーーwww しばしの時間をやるから速やかに本社を明け渡すよう通告しまーーーすwww
問題のフランチャイズ店のスタッフです!! 奴らがついに江戸本社に乗り込んできました!!
せめて、島津さんとか毛利さんとか、名のある店長さんが来てくれれば冷静に話も出来るというものなのですが、権力を始めて手にした、今まで本社に虐げられてきたと思っている連中がワラワラ土足で乗り込んで来る訳です。
まあ当然こうなりますよね。

こういう時に頼りになるのが我らが強硬派、小栗忠順(ただまさ)部長です!
勝部長とは反りの合わない男でしたが、外資系企業の力を借りてこの難局を乗り切ろうと水面下で着々と準備を進めていました。小栗部長さえ先頭に立てば、フランチャイズの一つや二つ、取るに足りない相手であると言い切っても良いでしょう!! そうですよね、小栗ぶcyお…

喜作はあわてて小栗の携帯を鳴らしました。勝部長も必死の形相で走り回っていますが、どうも勝部長は薩長の要求通り本社を明け渡すつもりのようです。
もしそうなれば、喜作もお富ちゃんも部の若手たちもみんなクビ。はいそうですかと素直に受け入れられようはずがありません。
ぴろりん♪

渋沢課長! もうあなたしかいないと思います。いつものリーダーシップを発揮していただき、あいつらを追い返して下さいっ
オレたちもそう思う。渋沢喜作とやら、リーダーは君しかいない

上野寛永寺食堂
聞いたよ、大変なことになってんだってな
まいりましたよ。小栗部長はいなくなっちゃうし、知らないおっさんまで出てきてオレにリーダーになれとか言うし
やってみればいいじゃん。渋沢くんならみんな納得するべ
イヤですよ! あいつらマジヤバい連中なんすよ。すぐ首切りますかんね物理的に
でも、このままじゃみんなクビよ
みんなクビってどういうこったいお富ちゃん
薩長の人たちは、私たちを本社から追い出して本社も直営店も自分たちのものにしようとしてるの。あくまで噂だけど、私たちは全員クビか、どこか小さな店に移動させられるみたい
どこかってどこだいお富ちゃん!
静岡じゃないかってみんな言ってる。でも静岡だとしてもやっぱりほとんどはクビになるみたい
おいおいちょっと待ってくれよ。うちの店は徳川カレーの社員さんたちのおかげでここまでやってこれたんだぜ? 本当に恩に着ているよ。ようし、こうなっちまったら仕方がねえ。オレが言ってナシ付けてきてやるよ

上野寛永寺食堂の店主、名を「義観(ぎかん)」と言います。朝霞市根岸村(新座郡)の出身、埼玉県民ではありますが、幼くして上野寛永寺食堂に奉公に出され、上野を第二の故郷としました。上野への愛着は人一倍あったに違いありません。その上野が経営危機に晒されるということで、命もかえりみず薩長の元へと向かっていきました。
が、義観はまったく相手にされませんでした。
下手に出てやりゃああのクソガキどもいい気になりやがって! 渋沢さんさあ、あんた立ちなよ。立ってあのバカどもにガツンと思い知らせてやれよ。本社に居場所が無いんだったらウチ(寛永寺)を使うといい。オラあ頭きた。全面的にバックアップしてやんぜ!!
良い事務所が出来たではないか渋沢くん。いや、渋沢リーダー
いやあの、自己紹介していただいて良いですか?

左の男は天野八郎(あまのはちろう)ほんの1年ですが徳川カレーに在籍していたことのある元社員です。今は何のつながりもありませんが、ニュースを見て「これは黙っていられない」と仲間を引き連れ本社へやってきました。地位のある喜作が立てば多くの同志が集まるだろう。こうなっては社員も部外者も関係ない、皆で団結し薩長を押し返そうではないか、という訳です。
右の男は伴門五郎(ばんもんごろう)彼もまた蕨市出身の埼玉県民なのですが、彼については一話を設け改めて取り上げたいと思いますので今日のところは割愛させていただきます。

喜作は迷っていました。
同じフロアの大鳥課長は、徳川カレーの聖地「日光」へ向かうと言い残し本社を去っていきました。
直営店も若手社員を中心に一部の者が辞表を提出(脱藩)チームとなって行田や上野に集結し始めたと聞いています。
下総請西(じょうざい)店においては、店長の林までもが職を辞し(藩主脱藩!)徹底抗戦の構えを見せていると大きな話題になっていました。
喜作の元にも「甲府店転勤」の打診がありました。表向きは甲府店の立て直しでしたが、会社の方針は恭順、つまり戦わない方向で一致しています。天野ら強硬派に接近されている自分が、会社にとって邪魔な存在になっていることを喜作は強く感じ始めていました。
喜作の行くべき道は、大鳥や林と同じ「抵抗」の線、ただ一本あるのみです。
しかし、社長、徳川慶喜のご意思はあくまでも恭順…。

ちなみに甲府には近藤課長とその仲間たちが行ってくれました(甲陽鎮撫隊)
