帝王切開発祥の地【飯能市】
何もない何もない言われまくる埼玉県ではありますが、太古の昔より人が営みを紡いできた土地である以上、何もないなんてことは百歩譲ってありません。
という訳で今回は、すべての人に関係のある「出産」についてのお話です。
ペリーの来日する1年前の嘉永5年。やむにやまれずこの国で初めての帝王切開手術を行うことになった医師と女性の挑戦を、山深き飯能の奥地より見ていくことに致しましょう!
先ず初めに現場の位置を確認しておきますね。
め、めっちゃ山奥ですね…
現場は飯能と秩父のちょうど中間。飯能市街から見て正丸トンネルのほんの少しだけ手前にあります。
この何があってもヘリも救急車も来てくれなそうな山奥で、日本初となる帝王切開手術は行われることになりました。
1852年(嘉永5)6月12日
当時33歳だった本橋みとさんは、自宅の納屋で難産に苦しんでいました。
赤ん坊はおなかの中ですでに亡くなり、みとさん自身の命もとても危険な状態に陥っていました。
ただ死を待つよりも一か八か
日本では誰も経験したことのない帝王切開手術を決断したのは
岡部均平(おかべきんぺい)
伊古田純道(いこだじゅんどう)
地元の2名の医師でした。
ブログを書くに当たり出産を2度経験した妻にも話を聞いてみました。より詳細な情報をお伝えするためにも、経験のある女性の視点は不可欠ですからね。
たけし(仮名)を生んだときって帝王切開だったっけ?
あ、あそこ切ったん!?
おまた切るわけないでしょ! おなかのこの辺を切って、臓器をどけて子宮を切って赤ちゃん取り出すんだよっ
全身麻酔だと赤ちゃんに影響が出るから部分麻酔なのよ。だから切ってるのも臓器がどぅるんて動くのも分かるのよ
岡部医師、伊古田医師の両名は、翻訳されたオランダの医学書を頼りに奮闘、見事手術を成功させました。手術に要した時間は約1時間であったと記録には残っています。
江戸時代だから麻酔とかないよ?
子宮は縫い合わせず、腹だけを塞ぐ処置だったって
みとさんの手術が行われた当時は西洋でも麻酔や消毒法はまだ一般的ではありませんでした。そんな中、飯能の山奥で、きっとロクに解読も出来ていなかったであろう医学書のみを頼りに日本初の帝王切開手術は行われました。
そして、みとさんは術後、感染症の痛みにニヵ月苦しんだそうですが、その後は回復し、なななんと
88歳の天寿を全うされました。
まさに奇跡的成功であった
本橋家の庭先に建てられた記念碑にはそのように刻まれています。
奇跡はあったはずです。また両医師のそれまでの経験と勤勉さも存分に発揮されたと思います。けれど、それらを上回るみとさんの逞しさ、生命力のようなものも伝わってきますよね。
歴史の不思議も感じました。
手術がもし失敗していたら。
この史実は記録されず、誰に知られることもなく、時間の流れに溶けて消えるだけだったかもしれません。飯能の深い山並みを眺めながらそんなことを想うと、歴史の不思議について少し考えてみたくもなりました。
ところで妻は
切らずにフツーに産んだそうです。