御家人GO!知れば楽しい埼玉県史 内池武者右衛門と時の鐘【川越市】 Posted on 2020年10月10日 by eiji 大阪城を作ったのはだーれだ? 豊臣秀吉! ブッブー! 大工さんwww このくっだらないなぞなぞを 200年以上続いた鎖国を終わらせたのはだーれだ? に置き換えた場合 豊臣秀吉のところは 老中首座 阿部正弘 大工さんのところに当てはまるのは 川越藩!! という訳で今回は、果敢にも少人数で黒船に潜入、お引き取りいただけるよう尽力した川越藩のある男について見ていきます! 無名に近い男のエピソードではありますが、県民として知らないままではもったいないなあと思いますので、埼玉県民も、そうでない方もどうぞ! 最後までお付き合い下さいませっ ビッドル艦隊来日についてはコチラをご覧いただくとして ( 埼玉県に黒船来航・前編 )この日、城ケ島の沖合に黒船が出現!を受信した川越藩士12名は、陣屋のあった浦之郷より小舟で出撃、ビッドル艦隊二隻のうちのヴィンセンス号に接近しました。 この川越藩士の中にいた … Continue reading内池武者右衛門と時の鐘【川越市】
御家人GO!知れば楽しい埼玉県史 埼玉県に黒船来航・後編【川越市/行田市】 Posted on 2020年9月27日 by eiji 幕府の基本方針は、城ケ島ー洲崎の第一次防衛ラインで停止を求め、聞き入れられない場合は観音崎ー富津岬の第二次防衛ラインにて砲撃 海の藻屑にしてくれるわ! という「打ち払い」でした。 ただ、先ず城ケ島ー須崎の第一次防衛ラインですが、現代人の私たち達から見てもちょっと距離がありすぎますよね? 実際、1818年にはイギリスのブラザーズ号を濃い霧のため見落としスルーさせてしまうという事件が起きています。 この失態をきっとネチネチ言われたのでしょう、ブラザーズ号を見落とした白河藩は、自らを桑名(三重県)へ、桑名を忍(行田)へ、忍を白河(福島)へ移動させる 三方領地替え を画策。まんまと負担の大きい沿岸警備の任から逃れ、桑名に転封していきました(諸説あり) 余談になりますが川越藩も 沿岸警備はもうイヤだ! 同じく三方領地替えを画策、無事「内示」をもらい祝勝パーティまで開催しましたが、すったもんだあり立ち消えになっています。ばんざーい、無しよ、という奴ですねwww 次に観音崎ー富津岬ですが、神奈川県側と千葉県側の距離はわずか7キロ、異国船を打ち払うにはこれ以上無い最適の地形を有しています。 この最重要地に配置されたのが我らが川越藩と会津藩でした。 が、後に川越藩は幕府にこんな意見書を提出しています。 この幅を2キロにまで埋め立てていただければ見事異国船を打ち払ってみせましょう 一休さんの虎退治みたいですねwww 観音崎ー富津間を埋め立てるなど出来るはずがないですよねwww 要は無理!!ということです アヘン戦争の結果にビビった幕府は、薪と水、ご希望があれば食料なども差し上げる代わりに穏便にお引き取りいただく薪水給与令に方針を変換していました。… Continue reading埼玉県に黒船来航・後編【川越市/行田市】
御家人GO!知れば楽しい埼玉県史 埼玉県に黒船来航・前編【川越市/行田市】 Posted on 2020年9月20日 by eiji あ、あれはなんだ! く、く、黒船だあああーーー!! いちいちイラストにするまでもありませんね。どなた様も沖合に出現した黒船の姿が目に浮かんだことだろうと思います。 幕末という時代はどの瞬間から始まるのかと問われれれば、きっと多くの方がこの場面、ペリーのやってきた嘉永6年を思い浮かべることでしょう。 しかし埼玉県民の皆さん! 埼玉県の幕末はペリーの来日する 50年以上も前から始まります 教科書にもありましたね。ペリーが浦賀に上陸、幕府にアメリカ大統領からのお手紙を突きつける場面です。 ペリーを迎え撃つ幕府の兵をご覧ください。先ずは向かって右側 彦根藩と会津藩の皆さんですね。遠いところご苦労様です。しかしどちらも長いこと幕府を支えてきた譜代藩ですので、これは妥当な配置といえるのかもしれませんね。 次に向かって左側 河越!! さらに海の上には 忍(行田)!! え、カッコイイ? 確かに、この頃の外国人など宇宙人みたいなもの。彦根、会津、川越、忍の連合軍は地球防衛軍のようなカッコイイ存在だったかもしれません。 ただ、憧れのお仕事だったのかと問われれば、それはちょっと違うのかなあという気がしてしまいます。 … Continue reading埼玉県に黒船来航・前編【川越市/行田市】