汲み取り業者と埼玉県
令和3年7月、さいたま市の人口が初めて133万人を突破! となりの川口市と共に「今選ばれている街」であるというニュースが大きな注目を集めました。
合わせて埼玉県全体の人口も増加。調査を始めた1920年以来、一世紀に渡り一度も人口減に転じたことのない唯一の県としての存在感を、益々大きなものにしたのかなあと思います。
という訳で今回は、埼玉県の人口が現在の730万人に至るまでの過程で起きた、とある出来事について見ていきます!
全ての埼玉県民に関係のあるお話ですので、どうぞ最後までお付き合い下さいませっ

埼玉県の人口が増加するきっかけとなった出来事を簡単におさらいしますね。
まず初めは関東大震災です。ほぼノーダメだった浦和大宮の地盤の固さが都民に知られ転入者が増加。この時転入してきた都内の植木屋により開かれた地域が、あの大宮盆栽村でした。
次に戦争です。本土空襲が激しくなるにつれ、東京から埼玉に疎開してくる人々が増え、そのまま県民になってしまうというケースがあったのでしょう。戦争終結の昭和20年には、埼玉県の人口は200万人を突破します。

高度成長期になると過密化した東京・京浜工業地帯より埼玉県に進出する工場が増え、それに伴い住宅地の開発、団地の建設等が活発化しました。昭和34年の西本郷団地(大宮)、35年の上野台団地(上福岡)、37年の草加松原、南浦和団地、40年の武里団地(春日部)などが代表的な例ですね。
昭和30年代は、埼玉県が農業県から東京のベッドタウン(居住県)へ転換していく過渡期の10年でもありましたので、今と同じですね。都内に出やすい「県南地域」に特に人々が集中してしまいました。

昭和35年、その県南で問題が起きます。
人件費、その他諸資材の高騰などを理由に清掃業者、と表現すると分かりにくいので、以後「汲み取り業者」と呼ばせていただきますね。皆さんのお出しになられたうんちやおしっこを回収する汲み取り業者が、各市町村に対し「値上げ」を要求し始めました。
汲み取り料金は、各市町村が指定業者を決めて委託をし、業者の要望も取り入れ「条例」で定めていましたのでちょいちょいと変更できるものではありません。
なので、川口、浦和、大宮、与野、蕨、上尾、戸田の7市町は協定を結び、料金を値上げする際は「統一料金」にしようという約束を交わていました。が!
蕨が陥落。

続いて浦和が単独で45円を提案していたことが発覚、7市町は調整不能の事態に陥り、埼玉県に基礎料金を決めてくれるよう斡旋を要請することになりました。

埼玉県は県内の市町村はどこもこの問題に頭を痛めていた状況を考慮し「県清掃事業審議会」を設置、「し尿汲み取り料金算定基準」をまとめると、この基準による科学的な料金算定法を使い、問題を沈静化させました(有能)
ちなみに埼玉県がこの時代に直面していた急激な人口増加に起因する問題は、ざっと挙げるだけでも…