ゲベール銃とミニエー銃【飯能戦争⑩】
ゲベール銃とモルチール砲でオンテレーレもした…
青天を衝けの第一話。岡部藩の牢に繋がれた高島秋帆(玉木宏)のつぶやいたセリフなのですが、どうでしょう。ほぼすべての方が、意味不明、もしくは聞き取れずにスルーしてしまったのではないでしょうか。
気が付けば「飯能戦争」も第10話。未だ飯能に到着せずボクも困惑し始めているのですが、このセリフの意味が分からないと幕末史の本当の姿は見えてきません! という訳で今回は、飯能戦争で使われた「武器」について見ていきたいと思いますっ
幕末史の有名な場面に、長州の代わりに薩摩が武器を購入、長州に横流しするというものがありました。
多くの読み物はこの場面の登場人物を、西郷隆盛、桂小五郎、坂本龍馬、中岡慎太郎の4人で書ききってしまうのですが、この4人のみだと武器を「売る側」の人間がいらっしゃいませんよね?
武器の売り手は、時に「死の商人」と呼ばれることもある
グラバーは商人ですから日本に武器を売りたがっていました。特に慶応の初めの頃はアメリカの戦争がちょうど終わったタイミングでしたので中古の武器を大量に在庫していたんですね
Youタチ、トクガワ倒シチャイナヨ
一儲けをするために薩長に思いっきり「戦争」をけしかけたのだと思います。それはともかく、この時グラバーが薩長に売りつけた武器は最新とは言わないまでも、それまでのものとは比べようもない「強力」極まりないものでした。
この頃の銃は高島秋帆が徳丸ヶ原で行ったオンテレーレ、あ、オンテレーレとは「演習」という意味ですね。演習で使用したことにより幕府が正式採用を決めたオランダの軍用銃
でした。
ゲベール銃は本格的な輸入が始まると、1850年代には「今日から撃てるゲベール銃!」的な教本が数多く発行され、1860年代には国産品だけで需要が賄えるほどに普及します。
ところが、1866年の第二次長州征伐。
幕府側の先陣は徳川四天王の一角、彦根の井伊隊でした。
楽勝ムードの井伊隊は、降伏するなら今だぞ? と軍使を二人進めます。が、長州はこの二人を躊躇なく狙撃、打ち沈めると、大砲小銃を浴びせかけるように放ちました。
この時のことを後に長州は
実に憐れむべきの次第
「かわいそうなくらいだった」と回想。井伊側も「具足櫃も置き立てに致したることなれば狼狽察すべし(自慢の甲冑も置いて逃げるくらいに慌てた)」と記しているので「総崩れ」の状態だったのでしょう。井伊の敗退を知った同じく四天王である榊原の軍勢も一緒になって逃げ帰ってしまいました。
長州の使用した銃は、亀山社中が仲介、薩摩より横流しされた
でした。
ミニエー銃とは底部拡張式の弾丸を用いる「前装施条(ぜんそうしじょう)式」のライフル銃です。慶応年間に輸入が始まり、戊辰戦争では主に官軍の主力銃となりました。
一方のゲベール銃は「前装滑腔(かっこう)式」の洋銃です。前装滑腔とは、先込め & 銃身の内側がつるつる滑るタイプの銃ということですね。各地で組織された「農兵」に貸与された銃もゲベール銃でした。
ゲベールとミニエーの決定的な違いは
滑腔か施条か。
繰り返しになりますがゲベールの銃身は内側がつるつるの単なる筒です。この中をパチンコ玉のような弾が、極端にいうと「ガタガタ」揺れながら抜けていきます。
ところがミニエー銃の銃身は内側が
らせん状!
爆発の衝撃で弾丸のすそ部分がらせんに食い込み回転しながら発射されるんですね。
弾道の中心線を維持したままターゲットに到達しますので、命中率はゲベールとは天地ほどの差がありました。
しかし命中率以上に幕府軍を戸惑わせたものがあります。
野球に例えると分かりやすいかな?
一方はガタガタ揺れながら飛んでくるナックルボール
もう一方はスピンのかかったストレート…
そうです、弾丸の飛距離です。
ゲベールの有効射程距離は100~200メートル。驚くことに50メートルと書かれたものも見たことがあります。
ミニエーの有効射程距離は、最も極端に書かれていた資料によると500メートル~1000メートル、つまり
ゲベール銃の約5倍!
回転だけでこれほど射程が伸びるとはにわかに信じられないのですが、それは幕府のエライ人も同じだったようで、このようなメモも残っています。
ゲベール筒ゆえ届かずと申す事解しがたし。和筒なれば届き申さず候道理
火縄銃が届かないというならそれは道理だが、ゲベール銃が届かないのは理解に苦しむ
いずれにせよこれでは戦争になりません。こちらの攻撃は敵に届かない。しかしその場所は敵の射程距離圏内、ミニエーの高い命中率でばったばったと討ち取られていくのです。
剣の時代は終わった…
土方歳三がそんなセリフをもし本当に吐いていたとしたら、さすがにそれは幕府のエライ人以上に認識が甘いと言わざるをえませんよね。
長くなっておりますが最後にもう一つだけ。
幕末の兵隊はみんな「ヨロイ」を着用していませんよね? 第二次長州征伐でみじめな敗北を喫した井伊隊も自慢の赤ヨロイを、こんなもんいるか! とばかりに脱ぎ捨て逃げ出しています。なぜなのか
ヨロイなどなんの役にも立たないからです。
スピンしながら飛んでくる弾丸はヨロイを簡単に貫通する、ばかりか、ヨロイの鉄片を肉にめりこませ、かえって傷を重くしました。
また上野戦争の印象的な場面に、弾除けに「畳」を用意するというものがあります。
こんな畳で弾よけになるんだろうか
芋侍のヘロヘロ弾なんかこれで上等さ
まあ結局はこうなってしまうのですが、これも官軍がミニエー銃を装備していなければ、まんざら愚策で無かったのかもしれません。ゲベールのヘロヘロ弾であれば止められたケースもあった訳ですからね。