笹井河原の戦い【飯能戦争⑭】
野田笹井方面へ進んだ平九郎の一隊は、偵察の報告を受け、100名の兵をいくつかの部隊に編成し直しました。
平九郎の率いる主力部隊の80名は、入間市野田のどこかで入間川を渡り、髙倉山のふもとに身を潜めます。
残りの20名は旧道を直進、笹井方面に向かうと、その内の10名が後の事案から見て黒須付近に潜伏したと思われます。
たった10名で何が出来るのか、ちょっとナゾですよね?
このナゾについては別の隊の高岡槍太郎くん(19歳)が日記にヒントを残してくれましたので一文だけをご覧いただきますね。
夜討ちに赴くくらい故、小銃の弾薬も十分に蓄えなし(戊辰日誌)
夜中に切り込むくらいしかねえんだよ、ということですね。正面からぶつかっても勝負にならないということはすでに彰義隊が実証済みですし、そもそも銃も全員に行き渡るほどの数はありません。窮鼠猫を噛むではありませんが、最後に一発喰らわせて潔く(逃げる)。
ゲリラ的な戦術以外に打つ手は無いということが日記の一文から伺い知ることが出来ますよね。
しかしこの戦いにおいても官軍が一枚も二枚も上手でした。
平九郎は官軍の先陣500名が居るとの報告があった高倉山へ前進、敵の陣地をはるかに見上げます。が、早々に引き上げたのか官軍の気配がありません。
しかし午前2時頃だったと思います。敵がいないのはやはりおかしいと、平九郎は高倉の様子を伺うために入間川の流れに沿って笹井の河原に入ります。
平九郎たちを高倉へ向かわせたのは実は佐土原藩の作戦でした。
佐土原藩は高倉に陣を張っていることを振武軍の偵察に見せた上で兵を引き、入間川を渡った対岸の堤防に100名の銃隊を配置しました。
佐土原藩の報告書に、一番砲隊と銃隊は、他の藩に先んじて進軍を開始、入間川を渡って300メートルほど進んだところで図らずも兵に遭遇したとあるので、佐土原藩は平九郎の隊を「挟み撃ち」にするつもりだったのかもしれません。予定は少し狂ったようですが、平九郎はまんまと佐土原藩の罠にかかったという訳です。
戦闘の火蓋を切ったのは振武軍の方でした。
敵も味方も分からぬくらいの暗闇の中、先ずは気配に気が付いた振武軍兵士が小銃を放ちます。
その銃声を合図に伏せていた銃隊100名が立ち上がり大小砲を打ちかけた、とあるのでコイツですね
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