逃亡【飯能戦争⑯】
高麗川に辿り着いた振武軍の「落武者」100名余りを待ち受けていたのは、左岸に配置された、官軍の銃隊400でした。
放て!!
この攻撃がどれほどの時間続いたのか、また、この攻撃でいったい何名の振武軍隊士が討ち取られたのかについては記録が無いため何も分かりません。
しかし気が付けば喜作と新五郎はわずか6名という人数で横手の山を彷徨い歩いていました。
重兵衛!!
どうなされた、撃たれたか!
姿が見えねえから心配して来てみりゃこのザマだっ 重兵衛! 重兵衛!
可哀想だが、こと切れておるな…
大人しく村にいりゃこんなことにはならなかったべな! 重兵衛さ!
そなたら、近くの村の者か
へえ、横手村の延次郎と平五郎と申しやす
そうか! ならばこんな時に申し訳ないのだが、我らは官賊どもに追われる身なのだ、どこかに匿ってはくれぬかっ
ちょちょ、ちょっと待ってくれ! あんたがた公方様のお侍さんだいな? 官軍方から触れが回っていて、打ち漏らした者がこの谷にきっと落ちてくっから鉄砲で討ち取るよう、言われてんだ。匿ったらこっちまで打ち首だあ
ならば、この近くに隠れられそうなところはないか。コイツはもう動けんが怪我をしている訳ではない。少し休めばなんとかなるだろう、頼むっ
それなら深久保にご案内しましょうっ
おい平五郎! おまえ分かってんのかっ
喜作が動けないほど疲労していたという記録はないのですが、深久保で休息を取った6名は官軍が静かになるのを見計らい、延次郎と平五郎に「背負われ」高麗川を渡河してるんですね。
長雨で増水していたのは間違いないのですが、喜作ほどの立場の人が「おんぶ」をされて川を渡るなんて、心身共に限界を超えていたのではないかと思います。
そして延次郎も恐らくこの深久保で喜作たちを助ける決意を固めていました。
延次郎は横手村の村役を努めていましたので、一橋家に恩を感じていました。この恩に報いるべき時が来たと感じたのでしょう、身の危険の忘れ、喜作らを自宅に招くと、蚕室の陰に潜ませ、食料と酒を用意し、村総出で衣服を新しい物に改めました。
その日の「月が高く上がる頃」でした。
あ、月と言えばイラストの背景が前回からずっと「晴れている」ことにお気付きでしょうか。
戦争の始まった23日は朝から晴れていました。24日も晴れ、25日は午後に雷があったようですが基本晴れ。以降は鴻巣市の畑に一週間身を潜めた高岡槍太郎くんが「雨が降らなかったのはラッキーだった」そう書き残してるのでずっと晴れ。
慶応4年の梅雨明けは、まさにこの日。5月23日であったと考えて良いのかもしれませんね。
話が逸れました。
精気の戻った喜作らは、次の宿場町までの案内を強く要請し横手村を出発。
井上村の入り口に差し掛かったところで、遠くに揺れるかがり火と、多くの人足らしき人影を視界に捕えます。
渋沢さま、尾高さま。徳川の落人と申しては通れませんから、ここは思い切って「官軍の侍」と偽って通行してみてはいかがでしょうか
それはシビれる提案だな平五郎どの。しかしもし見破られた場合、そなたらの命も保障出来んぞ
なあに、ハナから死地に赴く旅でさあwww よし! オレが官軍に乞われてあなたがたを子ノ権現まで案内しているという設定で行きましょうっ
お、おう…
こんな時間にどこへ行かれるのか。
オレは横手村の平五郎ちゅうもんだ。そしてこの人たちは「官軍」のみなさんだ。頼まれて子ノ権現まで案内している
待て。
現れたのは井上村の名主、井上範三でした。
範三は衣服を改めたばかりでどこか不自然な喜作らの姿を一瞥(いちべつ)すると
見れば、刀、脇差しを指しておられる方が後ろにお付きなされているが…
平五郎は、吾が意を得たりとばかりに
お察しの通り、官軍方のお侍様でございます。子ノ権現へお出での由、案内をしているところでございます
それはご苦労様で御座います、範三が頭を下げると、見張りの人足たちも槍を置き、一斉に平伏しました。
その光景を見た渋沢喜作は
範三は平五郎の案内してきた侍が徳川の落ち武者であることは百も承知でした。
しかしそれを認めれば彼らを討たねばならないし、そうなれば井上村の村人にも犠牲が出てしまうかもしれません。
もし官軍にバレてしまったら、その時は恐らく死罪ですが、範三もまた、延次郎や平五郎と同じく、命を掛けて喜作ら「旧幕府軍」を助ける道を選ぶ形となりました。
喜作らが突破した「見張り番所」は飯能市井上の「興徳寺」付近にあったそうです。
この辺りの国道299号線は当時の街道をほぼそのままトレースしているようなので、慶応4年のこの場所はもしかしたらこんな感じだったのかもしれませんね。
尺の都合で書けなかったけど、飯能市井上を突破した喜作ら8名は、鎌倉橋を渡り峠の頂上から吾野宿を眺め、官軍が来ていないことを確認した上で吾野宿に一泊。吾野に大小を預け、夜明け前に吾野を発つと、平五郎と別れ、ときがわ町経由で伊香保、草津へ向かうのね。