須永於菟之輔の安否【飯能戦争⑤】
Posted on by eiji
蓑、ちょうちん、頭巾、風呂敷、カッパ。
振武軍が箱根ケ崎に置いていった「忘れ物」の一覧です。
カッパを忘れるなど、慌てる彼らの姿が目に浮かぶようでもありますが、あるいは、西の空は雲が切れはじめていたのかもしれません。
降り続いた雨は、明け方までには上がっていました。

結果から言うと、喜作たちは高円寺まで進んだところで「彰義隊敗走」の報に接し田無に退却しました。
歯がみし足ずりして悔しがったが仕方ない
オレたちも戦いたかったのに悔しいなあ、的なことを晩年の喜作はぶっこいておりますが、喜作のコメントについては
40年前の回想だし、自分に都合よく語っている部分もあるだろう
田無市史もそう言っているので参考程度にしておきます。
奥様のどこに惹かれましたかと聞かれて「おっぱい」と答える男がいないのと同じことですね。もちろん、喜作を嘘つき呼ばわりしている訳では断固としてありませんので以後、その点をご了承いただきお付き合い下さいませ。

箱根ヶ崎に下がった喜作が、どれほど本気で上野を応援しようと思っていたのか。思い切って言ってしまうと、その気は「ほとんど無かった」のではないかと感じています。
喜作は慶喜に「戦うな」と釘を刺されていました。
後にもう一度触れますが、青梅を検討したのも、飯能を行き先の候補地にしたのも、この二ヶ所が「生き延びる」ために最低限必要な条件を満たしていたからだと思います。
そんな喜作が上野に間に合ったからといって
突撃ーーー!!
みたいな無謀な真似をするとはとてもではありませんがイメージすることが出来ないんですね。
しかし。
喜作たちは大慌てで、箱根ケ崎ー上野というアホみたいな距離を徹夜で駆けていきました。

須永は栄一のお母さんの妹の子、つまり渋沢栄一の「いとこ」です。
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