御家人GO!知れば楽しい埼玉県史 悪源太と6人の埼玉県民【源義平】 Posted on 2020年4月2日 by eiji 源義平(みなもとのよしひら) 後に鎌倉幕府を開く源頼朝の兄でもある彼が、何を目的に東松山市正代に館を構えたのか。 今回はそこを見ていく、前に~、義平とはどんな男だったのか、そしてその義平に埼玉県民はどう関わったのか。先ずはそっちから見ていきたいと思います! 埼玉県民が日本史の中で最も輝いた瞬間 かもしれない、あの日の出来事を、ご存知の方も、そうでない方も、一緒に振り返っていきましょうぞっ 時は1159年12月 場所は平安京大内裏 待賢門(たいけんもん)に陣取った義平のパパである源義朝は、圧倒的に不利な状況なもとで平家の大軍と対峙していました。 年号は平治、場所は平安京、我らは平家。平の字が三つもある。この戦、負ける要素が無いのおwww 平治物語のクライマックスの場面ですね 待賢門を突破し、御所の広い庭に踏み入ってきたのは、清盛の後継者として期待される平家の若きエース 平重盛、23歳 迎え撃つは、埼玉県の嵐山町で叔父である源義賢を殺害 強い(悪) 源氏の(源) 長男(太郎) という意味である 悪源太(あくげんた) の異名を持つ 源義平、19歳 … Continue reading悪源太と6人の埼玉県民【源義平】