狭山はいったい誰のもの・後編【狭山市/入間市】
Posted on by eiji
狭山市と入間市は過去に数度「合併」についての協議をしています。
直近だと平成の大合併ですね。国の後押しを受け狭山市と入間市もついに合併。新市名も決定し、平成18年の元日に新たな市としてのスタートを切る
というところまで進みましたが、結局は市民の反対多数によりご破算となってしまいました。
ご破算はともかく気になるのは新市名ですよね? 長文になっているので答えを言っちゃいますよ~
新市名は~
狭山市です。
あれ?って感じですよね。
浦和市と大宮市と与野市が合併してさいたま市、上福岡市と大井町でふじみ野市
新市名の名称にはどこも苦労した感がありありです。まして入間と狭山は市と市の合併。そんなすんなり入間市を吸収させる形にして良いものなのか、結構な違和感もありますよね?
これも大きなヒントだなと感じました。
前提として入間市と狭山市は名称が入れ替わっています。入間市が狭山市を名乗れば確かにねじれ問題は解消される
つまり両市にとって狭山市になることは積年の悲願!
なのかもしれない。
ということで
狭山茶の再興から
平成の大合併まで。
史実を妄想でつなげひとつのストーリーを作ってみました。
ええ、ここまでが前置きですよwww
江戸時代
狭山茶の起源は中世に作られていた河越茶だと言われています。やがてそれは廃れてしまいましたが、江戸後期に二本木村の吉川温恭らによって再興されました (瑞穂町 郷土資料館けやき館 解説より引用)
吉川温恭(よしかわよしずみ)とは入間郡二本木村の農民です。大事なことなのでもう一回言いますね…
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