山岡鉄舟と天覧山【飯能戦争⑱】
Posted on by eiji
長々と綴ってまいりました飯能戦争もいよいよ最終回!!
ここまで読んでくれた方がどれだけいたかは存じませんが、これを機に飯能の戦跡を歩いてみようという歴史ファンも少しは増えたのではないかなあと思います。
そんな方に先ず見ていただきたいのが、能仁寺の正面にあるこの看板!
山峡に歴史を訪ねるコース
官軍の主力部隊である、大村、佐土原、備前の三藩は、いずれも自分達の隊が「イチバン」に能仁寺に攻め入ったと主張をしてはばかりません。
つまりこの場所は、官軍が鬨の声をあげ、雨のように銃弾を浴びせかけながら、競うようになだれ込んだ飯能戦争の激戦区!
広い駐車場はあるしトイレもある。飯能戦争の戦跡巡りは、この案内板からのスタートが定番中の定番なんですね~♪
って、フツー思うでしょ?
アップで見てみましょう。
戦争の「せ」の字もないですね。
結論から言います。埼玉県内で行われた唯一の戊辰騒乱「飯能戦争」には、はっきりとした理由は分からないのですが
隠ぺいされた
形跡があります。
という訳で飯能戦争の最終回は、なぜ飯能市は、いや埼玉県は、この戦争を隠さなければならなかったのか。この謎について考えたいと思います。
今回も長くなってしまう予感がしますが山岡鉄舟と天覧山の関係を書かずして飯能から離れる訳にはいきません! どうぞ最後の最後までお付き合い下さいませっ
第13話「それぞれの開戦前夜」より一部を引用しますね。
飯能にとって喜作たち振武軍の来訪は迷惑なものでした。
ところが伝わっている風説を見ると必ずしもそうとはいえない状況も見えてくるんですね。…
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