狭服山の六孫王【源経基】
Posted on by eiji
知らない人はまったく知らない。知っている人は
ああ武士としての鍛錬が出来てなかった人ね
まったく良い印象のない
源経基(みなもとのつねもと)
について今回は見ていきたいと思います!
源頼朝を産んだ清和源氏の祖「源経基」は本当にダメな男だったのか、彼が埼玉に残した足跡から考えていきますね。

鴻巣高校の裏に源経基が館を構えたと伝わる森が残っています。その森の奥に
六孫王経基城跡の碑
六孫王(ろくそんおう)とは、つまり
オレは清和天皇の6番目の孫の子なんだぞ
という意味なのですが、この時点で若干ビミョーな感じはしますよねwww

でもまあ、当時はどエライ肩書だったのでしょう
経基はこの肩書きを引っ提げ、武蔵国の副県知事に当たる「介」として埼玉県に赴任してきました。
この時一緒にやってきたのが
興世王(おきよおう)
将門記にはこうあります。
二本の箸は魚の肉をついばむように民から血と肉を搾り取った
経基と興世王は魚をキレイに食べるように庶民から税をむしりとった、ということですね。ホント将門記は上手いことを言うなと思いますが、どうもこの興世王という男がとんでもなくゲスい奴だった。そんな気がしなくもないんですね。

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