狭山はいったい誰のもの・前編【狭山市/入間市】

狭山市立入間小学校

入間市立狭山小学校
狭山市と入間市はなぜアベコベになってしまったのか。
今回はその不思議に迫ります。いろいろ調べてるうちに思いの外大きな、そして長いお話になってしまいましたのでとっとと始めていきますね。
まず結論から言ってしまいますが
狭山市は「狭山」ではありません。
こんなことを言うと怒られるかもですがごめんなさい、言い切っちゃいます。狭山市に「狭山要素」はありません。
狭山市には狭山茶があるやんけ
ですね。しかし狭山茶の主産地はぶっちぎりで入間市、次いで所沢市。狭山市は3位に甘んじています。狭山市が狭山を名乗る理由にするにはちっとんべえ弱いですねwww

西武狭山線って電車がなかったっけ?
ありますあります西武狭山線。ですがこの電車は西所沢駅と西武球場前駅を繋ぐ路線であり狭山市はミリもかすってもおりません。むしろ西武球場前から狭山市駅へ向かった場合、西所沢と所沢、乗り換えが2度も必要なくらい、狭山市からは縁遠い路線です。
さ、狭山ヶ丘駅があるやんけ
確かに狭山ヶ丘駅なら西所沢から2駅
ですが狭山ヶ丘駅は所沢市にあります。

そもそも「狭山」とはいったい何を指しているのか。これは言うまでもありませんね
狭山とは「狭山丘陵」のことです。
冒頭の入間市立狭山小学校は狭山丘陵を望む不老川の対岸に位置しているので狭山。もう一つ言うと、ほとんど知られてはおりませんが、入間市博物館ALITのあたりに存在した飛行場は狭山飛行場と呼ばれていました。いずれもその名前に不思議な点はありません。

ところが狭山市は、この位置。
もう一回言いますが「狭山」にはかすってすらおりませんですね
以上の理由で「狭山市には狭山要素がない」言い切らせていただきました。
ただこの話、根が深いようなのでもうちょっとお付き合いください。どうも狭山市のせいでこうなった訳ではなさそうなので。

昭和29年、入間市よりも先に狭山市が成立します。
入間市はその2年後の昭和31年、豊岡村、金子村、宮寺村、藤沢村、西武町の一部が合併、武蔵町となり、その10年後の昭和41年に入間市として成立しました。市名は旧郡名である「入間郡」から採用したとあります。
さかのぼって狭山市は、堀兼村、奥富村、柏原村、水富村
入間川村、入間村が合併。狭山市として成立しました
市名は狭山丘陵と市の特産物である「狭山茶」から採用したとあります。

くっそややこしいです。狭山市の中に入間川村と入間村が存在する。
狭山市の中の入間村にあった小学校だから狭山市立入間小学校。狭山要素のない現狭山市が狭山市になって、入間要素が無いわけではないけど(入間郡なので)入間川村とも入間村ともかすっていない現入間市が入間市になった
くっそややこしいです。
普通にいけば、入間川村・入間村を含む今の狭山市が入間市。狭山丘陵にあり、狭山茶の主産地である今の入間市が狭山市ですものね。
ナゼこんなややこしい市制がまかり通ってしまったのか
そのヒントが
市名の由来は市の特産物である狭山茶から採用した
この一文にあるような気がしています。

狭山市は3位に甘んじていると言いましたが、狭山市の「狭山茶」に対する執着、というよりも
狭山茶を埼玉県の特産品としてブランド化する
埼玉県の県としての野望が狭山市と入間市のバックにうごめいていた。そんな気がします。
黒幕は埼玉県
黒幕なんて印象の悪いものではないのですが、便宜上都合がいいのでそう呼び話を進めていきますね。ホントに根が深いすよこの話。

かつて狭山丘陵の中には狭山市とは何のカンケーもない
狭山村が存在しました。今の東大和市(東京)の一部ですね
狭山村は狭山市が狭山を名乗る79年も前の明治8年に成立しています。つまり「狭山」を自治体の名称として最初に採用したのは東京都
もう一度言います
狭山を最初に採用したのは東京都。

東大和市には狭山神社もあります
ちなみに住所も東大和市狭山です。
狭山神社は瑞穂町(東京都)にもあります

さらにもういっちょ! 元狭山神社というのもあります(東京都瑞穂町)

狭山丘陵の東京側には、都立狭山公園(東大和市)もあれば、狭山池(瑞穂町)も、狭山平(瑞穂町)という信号もある

狭山を名乗るべきは入間か狭山か? というような話でここまで来ましたが神社が三つもあるんじゃかないっこありませんね。
狭山を名乗るべき自治体はどこか問題は
圧倒的に東京都に分がありそうです。
しかも元狭山神社のある元狭山村には
「元」という意味ありげな冠まで付いています
もともとの狭山はココじゃ!
そう言わんばかりの村名ですね。
さらに瑞穂町の狭山神社の境内にこんな恐ろしいものを見つけてしまいました。
狭山茶場の碑

狭山茶も
東京都が
発祥である
可能性がある。
後編へ続く…

『狭山はいったい???・』 興味深く読みました。 入間市、瑞穂町そして武蔵村山市と狭山湖周辺をサイクリングして同じ感慨ですね。 「狭山の由来」を ググルト 狭山市は意図的に ”狭山茶アピール” で命名したと⁉ ともあれ狭山丘陵は大事に残したい ”自然” です。
過去に所沢・入間市で発生した ”短時間集中豪雨(300mm以上)” は、神奈川県相模湾からの南風と茨城県鹿島灘からの北西風が狭山丘陵上空で ぶつかり 上昇気流を繰り返し発生して生じた事は明らかとなっています。
横浜、埼玉を底辺とする正三角形の頂点(つまり羽村市か青梅市)にもう1ヶ所気象レーダーがあれば、狭山丘陵近辺での雨量予報の精度は上がると思っています。
狭山ヶ丘は所沢市ですよ〜!
狭山市の名前の選定も実は、入間川町を始めとした各町村長が元々茶農家だったので狭山を採用したという噂も有りますよ!
失礼しました!所沢に訂正します〜