御家人GO!知れば楽しい埼玉県史 内池武者右衛門と時の鐘【川越市】 Posted on 2020年10月10日 by eiji 大阪城を作ったのはだーれだ? 豊臣秀吉! ブッブー! 大工さんwww このくっだらないなぞなぞを 200年以上続いた鎖国を終わらせたのはだーれだ? に置き換えた場合 豊臣秀吉のところは 老中首座 阿部正弘 大工さんのところに当てはまるのは 川越藩!! という訳で今回は、果敢にも少人数で黒船に潜入、お引き取りいただけるよう尽力した川越藩のある男について見ていきます! 無名に近い男のエピソードではありますが、県民として知らないままではもったいないなあと思いますので、埼玉県民も、そうでない方もどうぞ! 最後までお付き合い下さいませっ ビッドル艦隊来日についてはコチラをご覧いただくとして ( 埼玉県に黒船来航・前編 )この日、城ケ島の沖合に黒船が出現!を受信した川越藩士12名は、陣屋のあった浦之郷より小舟で出撃、ビッドル艦隊二隻のうちのヴィンセンス号に接近しました。 この川越藩士の中にいた … Continue reading内池武者右衛門と時の鐘【川越市】
御家人GO!知れば楽しい埼玉県史 埼玉県に黒船来航・後編【川越市/行田市】 Posted on 2020年10月10日 by eiji YouTube 幕府の基本方針は、城ケ島ー洲崎の乗り止め線で停止を求め、聞き入れられない場合は観音崎ー富津岬の打ち沈め線にて迷いなく砲撃 海の藻屑にしてくれる! という無二念打払いでした ただ、先ず城ケ島ー州崎の乗り止め線ですが、現代人の私たち達から見てもちょっと距離がありますよね? 実際1818年には、イギリスのブラザーズ号を見落すという事件が起きています その日はとても濃い霧が出てたんですよね 見えるか! この失態をネチネチ言われたのでしょう、白河藩は、自らを桑名へ、桑名を忍へ、忍を白河へ移動させる三方領地替えを画策。見事成功し、まんまと負担の大きい湾岸警備の任から逃れ、桑名に転封していきました 行田市は平成10年、桑名市、そして白河市と友好都市を締結していますが、それは200年前のこの三方領知替えに縁があるからですね 次に観音崎ー富津岬ですが、神奈川県側と千葉県側の距離は7キロ弱、異国船を打ち払うにはこれ以上無い最適の地形を有しています この最重要地に配置されたのが、千葉県側は会津藩と忍藩、神奈川県側は川越藩でした が、後に川越藩は幕府にこのような意見書を提出しています この幅を2キロにまで埋め立てていただければ見事異国船を打ち払ってみせましょう 一休さんの虎退治みたいですねwww 観音崎ー富津間を埋め立てるなんて出来るはずがないですよねwww … Continue reading埼玉県に黒船来航・後編【川越市/行田市】
御家人GO!知れば楽しい埼玉県史 埼玉県に黒船来航・前編【川越市/行田市】 Posted on 2020年10月9日 by eiji あ、あれはなんだ! く、く、黒船だあああーーー!! いちいちイラストにするまでもありませんね。どなた様も沖合に出現した黒船の姿が目に浮かんだことだろうと思います 幕末という時代はどの瞬間から始まるのか、と問われれば、きっと多くの方がこの場面、ペリーのやってきた嘉永6年を思い浮かべることでしょう しかし、こちらをご覧ください 教科書にもありましたね。ペリーが浦賀に上陸、幕府にアメリカ大統領のお手紙を突きつける場面です ペリーを迎え撃つ幕府の兵、まずは向かって右側 彦根藩と会津藩の皆さんですね。遠いところご苦労様です。しかしどちらも譜代の大藩ですので妥当な配置といえるのかもしれませんね 次、向かって左側 河越!! そして海の上には 忍の船(行田)!! 彦根会津忍川越、だけではないんですけど、湾岸警備を担当した一部の藩にとってペリーの来日は、始まりではなくひとつの大きな節目でした。特に川越はこの時点で湾岸警備歴約半世紀の、もはや海の男たち という訳で今回は、近代日本の扉を無理やりこじ開けたペリー艦隊に埼玉県民はどう対峙したのか、ペリーと激突するまでの約50年の間にどんな出来事があったのか、を見ていきます。長くなってしまいましたので前後編に分けました、お時間のある時にお付き合い下さいませっ 初めに、なぜ江戸幕府、いや日本という国の最大のピンチに埼玉県が向き合わなければならなかったのか その理由は単純です … Continue reading埼玉県に黒船来航・前編【川越市/行田市】