御家人GO!知れば楽しい埼玉県史 狭山はいったい誰のもの・前後編 Posted on 2023年10月27日 by eiji YouTube 入間市立狭山小学校 狭山市立入間小学校、跡地 狭山市と入間市はなぜ自治体名が入れ替わってしまったのか 今回はこの不思議に迫ります 昭和52年発行の書籍、狭山市の項にある記述です この地方は万葉集では伊利麻路、和名抄では伊留未と書かれ入間の地名の発祥と言われた土地である。それが昭和29年、市政を施くに当り、なんと思ってか狭山市を名乗ってしまった その後、狭山地方で狭山茶の産地が、やむを得ず入間市を名乗ったので、もう永久に市名が固定するであろう。入間市と狭山市は、おたがいに市名を交換すべきであるが、今となってはそれは困難なことであろう(抜粋) 私の思い込みではありません。狭山市と入間市は名称がアベコベに付いています それでは!文字になっている歴史ではないので妄想も交えながらになりますがさほど外してはいないのではないかなと思います。どうぞ最後までお付き合い下さいませ まず言ってしまいますが 狭山市は狭山ではありません 言い切っちゃいます。狭山市に狭山要素はほぼありません 狭山茶があるやんけ … Continue reading狭山はいったい誰のもの・前後編
御家人GO!知れば楽しい埼玉県史 飯能、燃ゆる【飯能戦争⑮】 Posted on 2021年5月20日 by eiji 大村・佐土原・備前の各藩が 砲弾を雨のごとく 小銃を雷のごとく 浴びせながら飯能へ攻め入ったのは朝の6時頃でした。 筑前・筑後は双柳を突破し、川越藩は、振武軍の退路を断つべく白子(武蔵横手駅方面)へと回ります。また名栗川の対岸に因州勢とあるので鳥取藩ですね。鳥取が矢颪(やおろし)に大砲の設置を完了しました。 ただ、詳細については不明な点も多く、官軍の残した報告書もどの藩のものを見ても「ざっくりすぎる」ところがあるなあと感じますので、これまたあまりあてにはならないのですが 渋沢喜作 彼の言葉を引用し、戦いの経過を追っていきたいと思います。 戦いは23日の未明から始まった。お互い正々堂々と陣を張り、銃撃戦となり、簡単に勝負は付かなかった。 オレも隊長として、弾をものともせず兵士を指揮した。 新五郎も参謀長であるから、敵味方の形勢を見て進退の命令を伝えた。兵士も必死で戦った。官軍もかなり手こずった様子だった。 そのうち官軍は「破裂弾」の発射を始めた。 それにも屈せず防戦したが、ちょうど11時頃だったと思う。二発の砲弾が能仁寺の屋根に落ちたかと思うと、たちまちもの凄い勢いで燃え出した。 田舎寺ではあるがかなりの大寺。それが一面の火となって背後から燃えかかる。今がチャンスと官軍はときの声をあげ攻め寄せる。 5時間余りだった。交代する兵もなく、苦戦したオレたちは、この時すでに死傷者も多く、かつ疲労も甚だしかった。その上、小銃大砲と猛火とに前後から責めたてられたので、仕方なく陣地を捨てて残念ながらついに退却することとなった。 … Continue reading飯能、燃ゆる【飯能戦争⑮】
御家人GO!知れば楽しい埼玉県史 須永於菟之輔の安否【飯能戦争⑤】 Posted on 2021年1月23日 by eiji 蓑、ちょうちん、頭巾、風呂敷、カッパ。 振武軍が箱根ケ崎に置いていった「忘れ物」の一覧です。 カッパを忘れるなど、慌てる彼らの姿が目に浮かぶようでもありますが、あるいは、西の空は雲が切れはじめていたのかもしれません。 降り続いた雨は、明け方までには上がっていました。 結果から言うと、喜作たちは高円寺まで進んだところで「彰義隊敗走」の報に接し田無に退却しました。 歯がみし足ずりして悔しがったが仕方ない オレたちも戦いたかったのに悔しいなあ、的なことを晩年の喜作はぶっこいておりますが、喜作のコメントについては 40年前の回想だし、自分に都合よく語っている部分もあるだろう 田無市史もそう言っているので参考程度にしておきます。 奥様のどこに惹かれましたかと聞かれて「おっぱい」と答える男がいないのと同じことですね。もちろん、喜作を嘘つき呼ばわりしている訳では断固としてありませんので以後、その点をご了承いただきお付き合い下さいませ。 箱根ヶ崎に下がった喜作が、どれほど本気で上野を応援しようと思っていたのか。思い切って言ってしまうと、その気は「ほとんど無かった」のではないかと感じています。 喜作は慶喜に「戦うな」と釘を刺されていました。 後にもう一度触れますが、青梅を検討したのも、飯能を行き先の候補地にしたのも、この二ヶ所が「生き延びる」ために最低限必要な条件を満たしていたからだと思います。 そんな喜作が上野に間に合ったからといって 突撃ーーー!! みたいな無謀な真似をするとはとてもではありませんがイメージすることが出来ないんですね。 しかし。 喜作たちは大慌てで、箱根ケ崎ー上野というアホみたいな距離を徹夜で駆けていきました。 須永は栄一のお母さんの妹の子、つまり渋沢栄一の「いとこ」です。 … Continue reading須永於菟之輔の安否【飯能戦争⑤】
御家人GO!知れば楽しい埼玉県史 1古代のスーパー直線道路【所沢市/狭山市】 Posted on 2020年3月15日 by eiji The long and winding road that leads to your door〜 今さら説明の必要もないビートルズの代表曲ですが、他にも美空ひばりさんや米津玄師さんなどなど 知らず知らず 歩いてきた 細く長いこの道 振り返れば 遥か遠く 故郷が見える でこぼこ道や 曲がりくねった道〜 曲がりくねり はしゃいだ道〜 どうも道というやつは、細く長く曲がりくねっていたほうが情緒を感じやすいのか、歌や詩になりやすい傾向にあるのかもしれません しかし平成元年 そんな情緒を一切無視した 巨大で! 真っ直ぐな! 道路跡が所沢市の中学校から発見されます 道の幅は約12メートル。真っ直ぐに伸びる道筋は、もしや古より伝わりしスーパー直線道路 東山道武蔵道 の一部なのではと、それは大きな話題になりました … Continue reading1古代のスーパー直線道路【所沢市/狭山市】