岩槻、運命の二週間【県庁所在地争奪戦②】
Posted on by eiji
明治4年、廃藩置県が実施され埼玉県が成立。県庁は岩槻に置かれることになりましたが、岩槻には
適当な建物がなかったため
仮ということで浦和に県庁を移し、そのまま浦和が県庁所在地となりました
というようなことがどの資料にも書いてあるので
岩槻には建物がなかった説
をみなさん信じていると思うのですが、岩槻にはなんなら岩槻城もありましたからね、建物がないというのはちょっとおかしな話ですよね?
ええ、真相は別のところにありました
しかしこれについては逡巡しました
どうも埼玉県にはこの真相を知られたくない何か事情があるようです
興味本位でYouTubeにしてしまって良いものなのか、動画にすることで傷つく誰かがいるのではないか、素直に建物が無かった説を採用し紹介すればいい、そんな想いも私の中にはありました
が、ある日、岩槻の街を散策していた時のことです
頭が出来ない(バカ)って書いてあるやないかい!!
というわけで! 岩槻はなぜ県庁所在地の座を浦和に譲ることになったのか、埼玉県の初代県庁舎、岩槻の芳林寺にあるこの碑をもとに辿っていきたいと思いますっ
今となっては隠すようなことでもないと思うので、私がぜーーーんぶぶっちゃけちゃいますねwww
それでは、明治政府第二のクーデター、廃藩置県に埼玉県はどう巻き込まれたのかを見ていきます
…
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